夏の終わりの買い物

今年の夏も長い。
九月も半ばになるのに暑い。もちろん、毎日半袖の服を着ている。

しかしここにきて、手持ちの半袖の服の何枚かが、へたってきてしまったので、Tシャツを2枚買い足した。先週ベージュのものを買って、今週同じ種類のチャコールグレーのものを買った。

着てみて使いやすいことがわかったし、まだまだ暑い予感がしたのでそうなった。
先週は、エスカレーターの降り口すぐの目立つスペースに、そのTシャツがあったのだが、今週は、薄暗い端っこのスペースにひっそりと置かれていた。向かいの棚と近くて、商品を見ていたら、二人づれの年配の女性とぶつかって謝られる。
同じビルの違う店で、こちらは少し秋らしいケーブル編みの靴下も購入した。靴下を買うとき、いつも色を悩むが、結局チャコールグレーか、グレーに落ち着くことが多い。

なぜかいつも一度、黄色に惹かれる。しかし買うと履く勇気がなかなか出ないことがわかっているので買わない。

自然発生の相談コーナー

朝食を食べる時にラジオを付けると、いつもの男性パーソナリティーの声が聞こえて来る。FM局、月~木帯の番組。祝日だけど今日も放送はある。お疲れさまですと心の中で言った。
そんなコーナーがある訳ではないのに、リスナーが悩み相談を書いて送ってくることに気づいたのは最近だ。それに対する答えというかアドバイスがいつもいい。簡潔だけどちゃんと考えてくれていることが分かる。なによりやさしい。
その相談に対してぼんやり考えていた自分の答えとはいつも違う。けど、なるほどそうかもと思うこと多々。
以前、何らかの手違いで、占いコーナーのいつもの効果音が出なかった時に、この方が間髪入れず、自分の口でその効果音を出したのが印象に残っている。笑ったと同時に胸が熱くなった。
みんなが悩みを聞いて貰いたいたくなる気持ちも分かる。

文章の参考にした本

文章を書くことが子供の頃から好きだったが、自分の書く文は、なんかダメだなと思っていた。学校で出す作文などは特にダメで、賞などに選ばれたことはもちろんない。

友達に手紙を書いたり、交換日記を書いたりも楽しくやっていたが、返事として書かれた友達の文章の方がいいなと思うことが多かった。悔しくて言わなかったが。

誰にも見せないノートに殴り書きする日記だけ、少しいいかなと思っていた。でも人が読む時に書くものと何が違うのかよく分からなかった。

それが少しわかった気がしたのは、一冊の本を読んだことがきっかけだった。三十代の終わりに読んだ、藤原ていさんの「流れる星は生きている」だ。

ちなみに有名な本なので知っている人も多いと思うが、これは満州引き上げの壮絶な体験を元に描かれた本で、文章の書き方の本では全然ない。

作者はこの本を書いた当時、作家ではなく一主婦だった。いわば素人だった訳だ。でも当時の私自身の文章を読む時に感じていたストレスみたいなものは、もちろんなく、内容がツルツルと頭の中に入ってきた。まず、一口に主婦と言っても、さまざまな個人なのだから、素人と侮るのがそもそもおかしいのだが、その時は、つい読みながら違うところを探してしまった。お話にも衝撃を受けたが、同時に文章に引きつけられたのである。

その結果導き出した良いと思える文章のポイントは以下の通り。

・実際に起きた物事や感情を過不足なく描いている。(自分をよく見せるためなどに、事実を半ば無自覚に変えてしまうことはありがちだが、それがないように感じる)

・自分以外を描くことで作者自身が浮き上がっている。(読者が「?」と思いがちな、自分が自分がという表現をしていない。でも作者の人物像は伝わる)

つまり客観的な視点と、正直さが重要に感じ、以後文章を書く時は心がけていて、ちょっとマシになったかと思っている。今ものすごく自分の首を絞めている。

ところでこの文章のタイトルを「文章の教科書にした本」にしようと思ったがやめた。教科書と言えるほど読み込んでいないし、実物も手元にない。当時は図書館で借りて読んだのだが、これを機会に買って再読してみるのもいいかもしれない。

未だなかなか良いと思える文章は書けないが、引き続き好きでやれたらいい。

 

B面の彼女たち

京セラ美術館コレクション展「女性が描く女性たち」を見た。
全体的にとても好きな絵が多かったのだが、特に惹かれたのが、梶原緋佐子が描く女性たちだった。
 
他の絵は、若くて裕福そうな女性をモデルにしていることが多いのに対し(それでもステレオタイプじゃない姿が新鮮!)彼女の描く女性は、ある程度成熟しており、貧しいとまではいかないかもしれないが、庶民ぽく働いている様子の人が多い。
 
気を張った表情の女芸人、楽屋に控えている女性は疲れを滲ませ足を崩す。夕方の停留所で傘にもたれかかる女性は、一日中歩き回って疲れても迎えにきてくれる人はいないのかなと邪推。
 
これらは人に見せようとする面とは反対、いわばB面の様子だ。でも彼女たちは美しいと感じた。そのことが同じ女として胸がすく。
 
そして、例え暮らしは楽じゃなくても、自分で足を踏ん張ってしぶとく生きているのであろう姿に共感というか励まされる部分があった。(私と違ってやむにやまれず働いていたり、好きな道に進んでいるのではないかもしれないが)
 
また、女芸人は衣装だから別として、シックな色の組み合わせの着物も大人っぽく、とてもかっこよかった。

助けになっている言葉

夜眠れなくて焦った時、中学の先生が言っていた「眠れなくても、布団に入っていれば身体はちゃんと休めているから大丈夫」という言葉を思い出す。

本当?という感じだが、いまだになんらかの理由で眠れない時はこの言葉を思い出し、そして慰められている。

たしか、高校入試を控えた時期に学年集会などで聞いた話だったように思う。試験前日などに緊張して眠れない場合があるから。

私がこの言葉に助けられたのは、おそらく発言の内容が本当かどうかよりも、話した人がそのことを信じていたからというのが大きいような気がする。

メガネのレンズを拭くのが苦手

メガネのレンズを拭くのが苦手だ。

一日の終わりにメガネの汚れを取る。
メガネクリーナーをレンズに吹きつけ、水でゆすぎ、ティッシュで水を拭き取る。メガネのブリッジを左手で持ち、右手にティッシュ。指がレンズに触れないように細心の注意を払う。
ただ、残念ながらどんなに気をつけても指紋がつきがちである。特に右手が勢い余ってティッシュからはみ出る。
しかしもっと気になるのが、レンズに浮き上がったティッシュの軌跡だ。汚れがちゃんと落ちていないのだろうか。拭いても油のようなものが伸びて、レンズが曇っていく。
ところがこれを不織布のメガネ拭きで拭くと、結構きれいになる。しかしこのメガネ拭きの手触りがゾッとして苦手なので、あまりやりたくない。結果、うす汚れたメガネをかけがちである。

暮しの手帖社から出ている「暮らしのヒント集」という本に、お年寄りはなかなか自分のメガネをきれいにするのが難しいので、メガネを拭いてあげると喜ばれますというようなことが書いてあったが、私も誰かにメガネを拭いてもらいたい。

羊羹の品切れ

地震の注意情報が出ていたとき、防災用品を買いに行った。
情報が出てから数日経っているので、予想はしていたがいろいろ品切れだった。
まず二リットル入りの水。スーパーでえぐれたように何もない部分の下を見ると値札だけが残っていた。
そしてカセットコンロとガス。電気屋は、商品見本はあるが、会計に持っていくカードが、どの品も一切なかった。ホームセンターでは、カセットコンロはあったが、ガスがなかった。じゃあアウトドアコーナーのコンパクトストーブはどうだろう?……なかった。
ここまではまだ想定の範囲内だった。でもいつも行く素朴なスーパーの和菓子コーナーから、羊羹が消えていたのはショックだった。普段もたまに買っているだけに、特に羊羹に思い入れもない要領のいい人(予想)が買い占めたことにイライラした。自分もたまに買う程度なので勝手な話なのだが。